1と2の文章と図版に関連して、問2〜6に答えよ。
解答 @
解説
「アイルランド自治法案を1886年と1893年の2回、議会に提出したイギリス首相とその所属政党」は、「グラッドストン」、「自由党」の組合せが正しい。「シモン=ボリバル」は、ラテンアメリカ独立運動の指導者。「社会党」の首相は、イギリスにはいない。(保守党・自由党・労働党のみ)
解答 A
解説
「クリミア戦争で看護に力をつくしたイギリス人女性」は、A「ナイティンゲール」。@「ジャンヌ=ダルク」は、神の託宣を信じた農民の娘。フランス軍をひきい、オルレアンの包囲を破ってイギリス軍を大敗させた。B「ローザ=ルクセンブルク」は、ドイツ共産党の指導者。C「サッチャー」は、イギリス初の女性首相。国営事業の民営化、自由化路線を推進した。
解答 @
解説
リード文の「『朕は国家なり』と主張したとされるフランス王」から、@「ルイ14世」。A「イスマイール1世」は、イランのサファヴィー朝の初代君主。B「コロンブス」は、ジェノヴァ生まれの船乗り。大西洋を横断してバハマ諸島のサンサルバドル島に到着した。C「劉少奇」は、1959年に毛沢東にかわって国家主席についたが、プロレタリア文化大革命で失脚した。
解答 A
解説
(ア)の文は正しい。(イ)「クロムウェルによって国王チャールズ1世が処刑された」のは、イギリスの清教徒革命。
解答 A
解説
「ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序回復のために会議が開かれた都市と、その議長をつとめたオーストリア外相の組合せ」は、「ウィーン」、「メッテルニヒ」が正しい。「ヤルタ」会談は、1945年、米・英・ソ3国首脳がクリミア半島のヤルタで会談し、ヤルタ協定を結んでドイツ処理の大綱、秘密条項としてドイツ降伏後のソ連の対日参戦などを決めた会談。「ヌルハチ」は、中国清朝初代皇帝。